サスライノヒビ -6ページ目

トラブル続き 1

ローマからフランス パリに飛ぶ
フライトチケットを持っていた。

そのため、ローマへ行き
ローマで少し街をフラフラして
さて、いざ
パリへ。

さよなら、イタリア!
もう、ボンジョルノじゃなくて
ボンジュールだなぁ。。。なんて
のほほんと思いながら空港へ行って
チェックインをしようとすると、
私の便のチェックインカウンターがない。。。
なんで?
と思いながら
カウンターのお姉様に聞いたら
「その便はストライキのためキャンセルです」
と言われる。

「え? 。。。。どうしたらいいの?」
「お金返すよ。」

いやいや、そんな問題じゃないだろう。。。

でも、どうしようもないみたい。
ちなみに、違う国へ今から飛べるか?と聞いたら
それは無理だと言われた。

「今から駅に戻ったら
 23:00のパリ行き直通夜行列車に乗れて
 次の日の12時に着くよ」
「駅までのお金だしてくれるの?列車チケット代とか」
「それは無理。」

私が使おうとしていた飛行機は
バックパッカーなどには言わずと知れた
「ライアンエアー」という
なんと1フライト1ユーロで買えたりする代物だ。
場所や時間によって違うけれど
ものすごく安く
ヨーロッパ内を行ったり来たりできる。

しかし、こういうトラブル対応はきっちりしていない。
だって安いもの。

さてさて、どうしたもんだろう。
と、ガイドブックを開き
イタリアからの電車の経路を調べる。
どうせ電車を使うなら
パリまで行くより
スイスとか行った方がいいんじゃ、、、
それか、南フランスにするか。

でも、今回のパリ行きは
NYで出会ったTomoちゃんと
パリで再会する、という目的があった。
けれど、Tomoちゃんもロンドンから飛行機でパリへ行くから
彼女もストライキにあうかもしれないし
無事着くかわかったもんじゃない。
しかも、連絡手段がないから
何も連絡できない。

何か情報を得ようにも
ニュースも見れないし
ネットも使えない、、、

とりあえず、ローマのホテルに1泊して
明日考えようかな、と思いながら
ホテルを探していると
バックパッカーの女の子3人に
声をかけられた。

結局なりゆきで
一晩、ホテルの部屋をシェアしよう、
ということになったのだけど
案内されたホテルがよくない。

ホテルというより
普通のマンションの1室。

彼女たち3人は一部屋をシェアして
そこは3人でいっぱいいっぱいだから、と
私はスタッフルームに案内された。

その上、2段ベットの上で
下はドイツ人の男の子が寝るらしい。
もう一人スタッフの女の子も寝るらしいけど
食べかけのパスタやお香の香りが混じるその部屋は
安いといってもこれはちょっとな、、、と思ってしまった。

これなら
しんどいけど夜行で行っちゃったほうがいいかも。
状況は変わらないな。。。
Tomoちゃんに会えるにしても
会えないにしても
とりあえず
夜行でパリに行こう。
と思った。

イタリアからも出たいと思った。

パリには特別な思い入れがあるし
行ったらなんとかなるかもしれない。
行ったことのない街に行くより
行ったことのある街の方がいいと思った。

気分も変わるかもしれない。

駅へ行って
チケットを聞くと
「今日はダイレクトでパリへ行く便はないよ。
 ミラノ乗り換えだよ」
と言われる。

なんだと?!
聞いていた時間とも違うし
うーそーつーきーーー。

けれど、勇気を出して
はじめての夜行列車 in Italy

すられるかもしれない、
今日お金おろしたばっかなんだよなー、
なんかみんな目がギラギラしている気がする。
なんていろいろ思いながら列車に乗った。

アッシジ到着

やっぱり計画性のないのはいけない。
昼過ぎには着きたかったのに
電車に乗り遅れて
4時間電車がなくて
しかもその電車も遅れて
着いたら19時半。

そのうえ、ユースの部屋が寒かったせいか
熱っぽい。
昨日から急に冬が来た。
その前日は夏だったのに。。。

これは
ゆったりしろってことだな、と思い
ここで2泊することに決めた。

昨日着いたときは
フラフラだったけど
今はだいぶましだ。

このアッシジという街は
私の大学時代の友達が
是非行ってほしい、
素敵な街だから、とすすめてくれた。

色んな場所で出会う
色んな国の人や
イタリア人もみんながみんな
アッシジはいいよー、という。

夜しか歩いていないけど
ここも石畳の坂が続き
色んなところに道がつながり
ちょっとした巨大迷路のようだ。

夜の顔は
静かで穏やかだったけれど。
昼はどんな顔をしているのだろうか。

シエナの夜

siena1
シエナはお祭りだった。
何も知らなかったのだけれど
偶然お祭りなのだ。

街には仮装をした人たちであふれ
色んな場所から音楽があふれ
踊りまくっていたり
奇声を発していたりする。

何のお祭りかと聞くと
英語を話せる人になかなか巡り会えず
お祭りの意味をきちんと知れなかったのだけど
少し英語の話せる人が
昔、この州でいろんな州の人が集まって
コンテストを行って
優勝したのが海賊なのだ、と言った。

全然わからないけどそうらしい。

だから海賊ファッションの人が多かったりする。

街中に作り物の
船が出ていて
そこでは海賊が指揮をとり
金管楽器の演奏が行われていた。

好きなタイプの音だ。

とりあえず、坂が多いこの街で
延々歩いていると
足が痛くてしょうがないのだけど
それでも
色とりどりの
衣装や、看板、広場は
私の目と心を楽しませた。

でもちょっと疲れたなぁ、
そろそろ帰ろうよ、と
お二方に
声をかけようとしたら
まったく英語がしゃべれないイタリア人に
バーバラ(54歳 2人の子持ち でも独身)が
ナンパされていた。

夜はまだまだ続く。

旅は道連れ  シエナにて。

siena2
Yuちゃんが別れる前に
フィレンツェから
シエナに行ってみれば?
綺麗らしいよ。
と言った。

なんとなく
ガイドブックを読んだりしていると
シエナに寄りたくなり
予定を変えて
シエナに行くことにした。

一人だと
あんまりきっちり出発時刻などを決めない私。
この日も決めずに
出発したら
予定より、遅い到着になってしまった。

電車の中で
となりのブースに座っている
なんとなく優雅な女性二人組と
斜め前のブースに座っている
いかにもバックパッカーの女性が気になった。

シエナの駅に到着すると
気になっていた2組の女性が
立ち話をしている。

聞き耳をたてると
今からホテルを探すために
インフォメーションへ行く、といっている。

状況は一緒だった。
しかも、なんとなく気になっていた二組だけに
あわてて声をかけた。

私もホテルを探している、というと
一緒に4人で探そう!という話になった。

優雅な二人組はオーストラリアから来ていて
二人とも娘や息子がいるという
オーバー50のお母様、
バーバラとへレナ。

バックパッカーの女性は
ものすごく美人な
MBAを取得したばかりという
メキシコ出身、
今はピサに住んでいるというベッツィー27歳。

こうなると心強い。
ガイドブックなどに
気に入るホテルがのっていないと
インフォメーションで聞いて
ガイドをもらっていたのだが
いつも不安な心はあるまま探すはめになる。
でも、今日は一人じゃない。

しかし、このシエナという街がくせ者で
まず、駅前や駅の中にインフォメーションがない。
普通は歩いていけるような場所にあるものなのに
バスに乗らないといけないという。

しかもバスを降りてからが
また大変だった。

石畳の街を
大きなスーツケースをひっぱって延々
歩くはめになるのだ。
しかも、坂やら階段やらが激しく多い。

このスーツケースが本当に
重くて
毎日これを引っ張るのがいやで
できるだけ
駅に近いホテルを選ぶようにしている。

バックパックにすればよかった。。。
とこのとき程思ったことはない。
でも、荷物の整理できない私が
バックパックで旅行なんてとても無理な話だ。
体力もないし。

でも、この旅で
確実に私の腕には
筋肉というものがつくと思われる。

だってイタリアの駅には
エレベーターとかエスカレーターとかいう
便利なものは全くなくて
毎回、自力で階段を上り下りしているのだ。

時々、やさしい方が手伝ってくださるが
電車に乗るほとんどの方が
自分の大きな荷物を抱えていらっしゃるので
みんな自分に必死なケースが多い。

話がそれたが
とりあえず
私のスーツケースは
この旅一番、
シエナの街にあわなかった。

やっとたどりついたインフォメーションでも
ユースホステルの情報を1カ所もらえただけ。
なんでも、今日はお祭りがあるとかで
街の中心地近くのホテルは
ほとんどフルかべらぼうに高いとのこと。

ユースに電話しても
今のところ1個しかベッドはあいていない、と言われるし
それでもキャンセル待ちもあるかもしれないし
行ってみるしかない、と
またもやバス停までの道をトランク引っぱり
さらにバスに乗って
ユースへ向かう。

さてさて、キャンセル待ちの45分。
みんながありとあらゆる国の
お菓子を出してきて
ユースのロビーはピクニック会場になった。

色んな話をしながら
待つこと40分。

運良く部屋を用意してもらえて
いざチェックイン、となったとき
ベッツィーが。
「私、実はパスポートをピサの家に置いてきてしまった。」
という。

全てのホテルで
パスポートナンバーを控えられ
警察に送るシステムになっているのだが
パスポートないと
無理なんじゃ?と思っていると
案の定、ダメだったらしい。
10分以上話していたけど
そりゃ無理だろう。。。

結局、ギリギリの時間までシエナにいて
最終電車でピサに戻る、と言った。

リーダーシップをとり
ユース初体験という私たちをひっぱっていってくれた
彼女だけが
泊まれない。

なんて話だ。

しかも、私は二人部屋のそのユースで
知らない人と泊まらなければいけなくなり
またまた不安度120%。

不安に思っても仕方ないし
ベッツィーが帰らなければいけないのは事実なので
とりあえず
シエナの街まで戻り
私たちは散策をはじめた。

旅に出る人たちは
いろんなひとがいる。

あらためて思った
シエナの1日。

世界規模の待ち合わせ

フィレンツェで「テレフォンセンター」という
なんだかあやしげな感じの
電話ボックスを見つけた。

そこではすごく安い値段で
国際電話がかけれて
いっぱいの人が
ボックスに入って電話している。

ここを利用すると
日本の携帯にも1分10円くらいでかけれる。

私もここを利用して
フィレンツェから
日本の友達に電話した。

「わー!今イタリア?わー」
と騒ぐ友達。

久々の声に当然私も騒ぐ。

「一人でさみしくないん?」
という友達に
この間まで友達と一緒に旅していて
最近一人になったこと。
また4日後に
フランスのパリで
ニューヨークで知り合った友達と
待ち合わせをしていることを告げた。

だからさみしくないよ、と。

「パリやのに、なんか喫茶店で
待ちあわせるような感じやな。」

確かに。

世界規模な待ち合わせだ。

明日、三宮に1時なー。

5日にパリなー。昼過ぎくらいに着くかなー。

楽しみにしてるなー。

9月の終わり

9/30
今日は9月最後の日だ。

いつもの台詞だけれど
やっぱり今回も言う。

何とも早い。

9月最後の日。
イタリアはとってもお天気がよく
私はドゥオモのてっぺんにのぼり
フィレンツェを見下ろしていた。

去年の今頃は
ずっと
泣いてばかりいた。

なんだか体調が悪かったり
気分がすぐれなくて
でも病院に行ったら
なんでもない、と言われる日が続いていた。

でも最近は
泣いていない。

夢から醒めて泣いていることはあるけれど
普通に生活の中で
泣くことはない。

来年の今頃は何をしているだろうか。

来年も笑っていられるといい。

ピサへ

pisa
なんか斜めになって
立っている塔が見たくなった。

フィレンツェから1時間半程で到着。

ピサの駅に降り立った時
一人の女性が
「斜塔に行くにはこの駅でいいの?」
と聞いてきた。

彼女はブラジルからビジネスで来ていて
明日ブラジルへ帰ると言っていた。
ビジネス仲間の
5人の男性と一緒だった。

なんとなく意気投合して
一緒に行動することに。

はじめて会ったブラジルの方は
とっても激しい。
感情豊かで
大声で笑いながら
話をして
しょっちゅう、
「道はこっちでいいのか?」と
聞きまくっていた。

地図を見ながら歩く私が
間違っている気分になってくるくらいに
聞きまくる。

着いた時には
斜めになっている塔を指差し
大声あげて喜び
記念写真を撮りまくる。

私の
喜びなんてかきけされるくらい。

面白いなぁ。
こんなに違うんだなぁ、と
しみじみ思った。
イタリア人も表情豊かだかだけど
こっちもすごい。
ラテンの血か?

当然帰りの電車の中でも
感情豊かにしゃべりまくり
気がついたら
ビジネス討論がはじまっていた。

フィレンツェまで一緒に戻ってきて
ここからボローニャへ帰る、という彼らと
抱き合って別れたのだけど
見送っていたら
列車だけ出発した。

乗り過ごしてしまったらしい。
笑ったり怒ったりしながら
戻ってきた彼ら。

しかも、一人だけ乗れたらしく
彼だけ先に帰っちゃった、とのこと。

その後の待ち時間は
思い思いに
ジェラート買いに行ったり
トイレ行ったり
バラッバラ。

面白い。

とりあえず
ブラジルに友達ができたので
私のいつかブラジルに行きたい、
という夢も叶うかもしれない。

なんとなく気分で。

モザイクの街 ラベンナ から移動する電車の中で
ものすごく久しぶりの音を聞いてみた。

遊佐未森のアルバム、
その名も
「モザイク」

なんとなく思い出して
今の気分にあうのではないだろうかと思い
聞いてみると
やっぱり
しっくりくる。

彼女を知ったのは
私が中学生くらいの時。

この人の声は
癒しの声だ。
お望みであれば
一気に夢世界へ行ける。

そして言葉も
ものすごく
はかなかったり
とけそうだったり
何とも絶妙な表現が多い。

彼女のような表現力が欲しくて
よく、彼女の言葉をまねて
詩を書いた。

あれどこにも発表していないけど
どっかに出したら
盗作だな、きっと。
なっちと一緒。

うーん。
やっぱり何年たって聞いても
好きな音だ。

旅の目的

フィレンツェの駅で日本人の男性に声をかけられる。

彼は昨日フランスのアビニョンにいて
深夜列車でイタリアまで来て
朝一にピサに行き
その後、フィレンツェに来て
ドゥオモに登り
今からローマに向かうんだ、と話していた。
パスポートはハンコがありすぎて
もう押す場所がほとんど残っていない、と
話していた。

すごいもんだ。

どんな人柄かって
1分も話さないうちにわかった。

目やら話し方やら雰囲気やら。
なんだかいやな目をしている。

♪人との出会いが旅だから
  借金してでも出かけよう♪

そう歌ったのは
スチャダラパーだったと思う。

私のココロによく浮かぶフレーズでもある。

目的が違うんだ。
旅に求める目的が。

そして私は
別に出かけなくても
人が存在して
生きていること自体が
旅なんだと思っている。

学校に行っていても
仕事をしていても
子供を育てていても
すべては
旅。

よい旅を、
と言って
名前も聞かずに別れた。

赤色の空

florence
夕方、軽く雨が降った。

この降り方は
陽は雲に隠れているから
夕日は無理だけど
空は赤色に染まるんじゃないだろうか、と思った。

だから
雨の中
フィレンツェの街を
見下ろせる場所に移動した。

勘が当たるかどうか。

最初の場所に到着した時
まだ赤色になりそうになかったので
もう一段階、上まで登ることにした。

フィレンツェで一番高い場所にある、という教会に到着。

教会の中で
神聖な気持ちになって外に出ると
さっきよりも
赤くなりそうな気配を見せていた。

やっぱりだ。

フィレンツェの街は
時間を追うごとに
どんどん赤色に染まっていった。

薄い赤から
どんどん濃い赤に染まっていく。

見ている私や
周りの人まで染まっていく。

最初にフィレンツェに降り立った時
あんまりいい感じがしていなかったのだけど
きっと、
今日はこの
赤い空のためにあったんだな、と思った。