サスライノヒビ -5ページ目

人生二度目のヒッチハイク

レンヌへ帰る、バスの出発まで
あと1時間ある。

よし、歩いて
遠く離れたところから
この砂地に浮かぶ島を
確認しよう。
時間が近づいたらバス停に帰ろう。

バスの中からも見たけど
もう一度みたかった。

歩きながら
何度も後ろを振り返って
モンサンミッシェルの風景を確認した。

後ろを同じように歩く女の子がいた。

日本人ぽいけど
わからない。

とりあえず気にせず歩いていたのだけど
そのうち彼女が私においついた。

Kyoちゃんという日本人。

「どこまで行くんですか?」
「歩けるところまで歩いてバスに間に合うように帰ろうかと思って。
 どこまで行くんですか」
「私、駅まで歩こうかと思って。そこから電車で帰るんです。
 一緒に歩きませんか?」

こういう時はなんとなく
面白そうな方に流れやすい私だ。
その提案にのり
二人で歩き始めた。

最初はやんでいた雨が
強くなってきた。
どんどん
どんどん強くなる。

1時間半くらい歩いただろうか。
先が見えず
不安になってきた。
とりあえずびちょびちょ。

「どうしよう。」
「この雨がねぇ。
 なかったらいいお散歩なんだけど」
「ううーーん」

二人で悩んだあげくにいきついた答えが
ヒッチハイクをしてみよう、
だった。

歩きながら
後ろに車が見えたら
手をあげる。

でも
これまたなかなか
止まってもらえない。

何台通り過ぎただろう。

「止まらないもんだねぇ」

と、そこにスピードを落としてくれた車があった。

車のドアが開き
私たちを迎え入れてくれたのは
にこやかなお母さんと
二人の子供。

少し英語のしゃべれるお母さんで助かった。

びちょびちょの私たちを
いやな顔ひとつせず
受け入れてくれて
駅まで連れて行ってくれた。

「よい旅を!」と
ずっと手を振って見送ってくれた3人。

また人のやさしさに触れてしまった。

後でKyoちゃんと
「実はヒッチハイクちょっと恐かったんだよね」
「私も。でも二人なら大丈夫かと思って。。。」
と告白大会。

でも、あの笑顔に触れられて
ヒッチハイクでとても得した気分だった。

でもきっと一人じゃまだ
勇気ないな。
ヒッチハイク。

砂地に浮かぶ島、モンサンミッシェル

monsan
モンサンミッシェルにどうしても行きたかった。

レンヌからバスで1時間20分程。

雨が降っていたけれど
つく頃にやむことを祈りながら
出発した。

どうしても砂地に浮かぶという島を見てみたかった。

ここの島はもともと陸続きで
森の中にそびえる山だったのらしいけれど
あるとき
津波が森を飲み込み
山は陸と切り離されて
島となってしまったという。

そして
その島のてっぺんには
修道院がある。
昔、大天使ミカエルが
司教に
「この土地に修道院を建てよ」
と告げたのだという。

なんとも神秘的な話だ。

なんで雨なんだろう。

青い空をバックに建つこの島は
きっともっと
素敵に違いないのだけど
あいにくの雨。

けれど
天気を悔やんでも仕方ない。

修道院までの
長い道のりを歩き
修道院に到着。

ここから見る
周りを取り囲む砂地の景色は
空のグレーにとけていく。

なんだろう
この感じ。
自分自身まで砂地に溶けてしまいそうな気分になる。

修道院の中も
とっても神聖で
でも、なぜか
時折見える周りの景色に
ここにいる人たちが吸い込まれたんじゃないだろうか、
という錯覚に陥った。

ゆっくり
ゆっくり
歴史を感じながら
そこを歩き
何度も砂地を見ながら
無になって
修道院をあとにした。

レンヌの街。

rennu
やっぱりここは気に入った。
一日中、街歩きをして
実感。

なんだか、はじめて
パリを訪れた時の気持ちを思い出した。

パリにいた時よりも
濃く思い出した。

はじめて見る景色に
いちいち心躍らせたり
出会う、すれ違う
フランス人はみんなおしゃれで、
美人でかっこいいなぁ、と
感心したり。

そんな感じが濃く
昔のはじめて訪れたパリを
思い出させるのかもしれない。

ここは好きだな。

出会う人、出会う人が
目が合うと
ニコッ、と微笑む。

私も微笑む。

これがあるとき
私は外国にいるんだと実感する。
日本だったら
ありえない。

私は今、
日本ではない国に存在する。

お風呂に入れるという幸せ

ヨーロッパに来てから
自分が日本人だなー、
と実感したことのひとつに
「お風呂」がある。

こっちの人って
そんなにお風呂に興味がないのだろうか。
重要視されていない気がするのだ。

この間、Yuちゃんとも話していたのだけど
夜眠る前にお風呂に入って
疲れをとる、
という感覚は
こっちの人にはない気がする。

スコットランドにいた時
5日間の滞在中
私以外でお風呂に入ったのは
私とバジルだけだった気がする。
バジルも1回しか入っていないはずだ。
ここのお家は
お風呂に入るためには
暖炉に火を灯さなくてはいけないし
色々あるのだろうが
それでも、不思議でならなかった。

イタリアのコンセイロの家にいた時は
夜になると
水が止まった。
汲んできた水があるから
それで口はゆすげるし
トイレも流せるけど
それでも、うーーーーん、と思った。

アンジェリーナの家にいた時は
いつでも使っていいよ、と言われたけど
夜はいつも帰りが遅く
夜入るのは、他の兄弟も寝ていたので
気が引けるから
朝入ったのだけど
早風呂せずにはいれない環境だった。
アンジェリーナ自身も早風呂で
5分とたたないうちに出てくる。

アッシジで泊まったホテルは
お湯の温度の調整ができなくて
あつーーーーいお湯しかでなかった。
生まれてはじめて
水でもシャワーは浴びれるけど
熱すぎるお湯では浴びれないんだ。
と、その昔、YOSHIKIが
「シャワーが熱い!」と言って
キレた気持ちがよくわかった。

イタリアで満足したお風呂に入れたのは
フェラーラの
B&Bに泊まったときくらいかもしれない。
自分たちの部屋に湯船つきで
それはそれは
感動して
鼻歌歌いながら湯船にお湯をためた。

フランス パリでは
シャワーのついている部屋だったけど
でも、
温かいお湯が出ることは少なく
気合いを入れて
浴びに行く、という感じだった。

アメリカに渡って以来
まともに湯船のある生活をしていない私は
湯船というものに人一倍感動する。

だって、東京にいた頃は
毎日のようにお風呂時間を
1時間くらい持っていた私だ。

湯船で読書したり
眠ったり
アロマたいたり
それはそれは楽しい時間だった。
でも、今はそんなの夢のまた夢だ。

でも、今回
フランスの旅でまた湯船に出会えた。
お部屋にお風呂はついていないけど
バスルームに案内されて
飛び上がって喜んだ。
湯船付き、しかも広い。
窓が屋根に沿ってついていて
朝風呂の時間は
青い空を見ながら湯船につかれた。

夜は真っ暗だけれど
外の明かりをほのかに感じた。

あー、
いい湯だなぁ。

1時間くらいお風呂の時間を持って
お風呂の鍵をフロントに返しに行ったら
「ずいぶん長いお風呂だったね」
とフロントの方に言われた。

やっぱりそう思うんだ。
日本人はお風呂好きなのよ。

私をレンヌに連れてって。

reneki
ということで
TGVというフランスの列車に連れてきて頂いた。

この列車は乗り心地がよい。
イタリアの列車とえらい違いだ。
すごく快適な2時間の旅だった。
しかも、隣の席はとってもかわいいフレンチの女の子。
出会った瞬間
「ボンジュール」
と大きな目で挨拶してくれた。
かっ、かわいい。

駅にエスカレーターはついているし
綺麗だし
フランス最高!

ということで
「レンヌ」は
ブルターニュという地方になる。

今回の旅で、
必ず訪れよう、と決めていた場所だ。

今まで、フランスに何度か来たことはあったのだけど
パリと南仏のみだった。
それはそれで
よいのだけど
今回はちょっと行ったことのない
地方まで足を伸ばしたいな、と思っていた。

一言目の感想。
とってもキレイ。
居心地がいい。

パリは好きだけど
やっぱりシティなので
それなりにゴミゴミしているし
きたないし、
でもここは
栄えているけど
栄えすぎていない
街もキレイ。
人もやさしい。

ゆーっくり
街歩きが楽しめそうだ。

少し街を歩いて
ホテルに戻り
休憩してもう少し歩くぞー。

と思っていたのに
なんだか
体が痛くて
だるい。

気がついたら
ホテルで眠り続け
起きたら夜中の2時だった。

ああああああ。

悩んでも仕方ないので
そのまま
ベットに身を任せて
眠り続けた。

幸せのレンヌの一夜。

旅の間に
明るいうちから眠るのって
もったいないとは思うけど
でも、最高の贅沢だとも思う。

窓から見える景色も
なんか素敵だし。
こういう休息の日は
必ず必要なのだ。

でも、今日は歩く。

好きなBGMを片手に
歩く予定。

歩くのだ。

ムーランルージュ初体験

mooran
忘れないうちに
書いておかなくては。

そう。
今回のパリの訪問で
どうしても見たかったもののひとつがこれ。

これができれば他は別にいいかも、
というくらいの情熱だった。

何回かパリに行っていたくせに
キャバレーを見ていなかった。

まだ、私も大学生だったし
そこまでエンターテインメントに
今程、お金を払ってもいいか、と思える歳でも
なかった。

ということで今回のパリでは夢叶ったわけだ。

チケットが思ったよりも簡単にとれて
ウキウキしたのはしたのだが
困ったことに服がない。

服はなんとか黒っぽいものや
コートでごまかせても
靴がスニーカーしかない。
ブーツのひとつでも
イタリアかパリで買う予定だったのに
買わなかったのだ。

ううむ。
こんな格好で行っていいものか、、、と
Tomoちゃんと
悩みまくったあげく
強行突破を狙ったのだけど
別に止められることなく
入れてもらえた。

けれどなんだかやっぱり
周りのおしゃれ具合を見ていると
こうではいけないな、と思った。
ちょっと、いろんなことを考え直す予定だ。

さて、本題。

それはもう、素敵な世界が広がった。

なんだろう。
シャンパン飲みながら
めくるめく、エンターテインメントの世界というのは
最高の贅沢だ。

とりあえずダンスはパワフル
衣装はゴージャス
体は美しい。

デブでもハゲでも
ブロードウェイのミュージカルスターにはなれるけど
キャバレーのダンサーにはなれないもんなぁ、、、、と
ただただ
体の美しさにはびっくりし続けた。

ダンスだけではなく
水中ショーや
クラウンのショーなど
笑いや驚きも盛り込まれていて
あっという間の
数時間だった。

さすが、
の一言だ。
キャバレーのショーでここまで見せてもらえるなら
文句はない。

音響や照明に関して言ってしまうと
いろいろ言いたいことはあるのだけれど、
そこはキャバレーだから、、、
お酒が入って見るものだから、、、
と目をつぶっておこうと思う。

見終わる頃には
ほろ酔いだし
ショーは素晴らしいしで
ご機嫌に
会場を後にした。

そして
その後は
ご機嫌のままに
夜中の2時まで飲み続けたのだった。

まだパリの空の下

今日の早朝、
Tomoちゃんが日本に帰っていった。

そして
私はまだパリの空の下にいる。

一緒にパリを出て
別の街に向かう予定だったのだけど
もう少し
ここでのんびりしようと思った。

パリは私がはじめて
海外旅行に来た街だ。

ちょうど10年前がはじめてのパリ。
18歳だった私は
19歳の誕生日をパリのホテルでむかえた。

一晩中、命日である
セルジュゲンスブールのスペシャル番組を見ていた記憶がある。

なんでか
ものすごくフランスに憧れて
「私はパリッ子になる。」
とみんなに言っていた。

なんだ。
パリッ子って。
パリジェンヌでもないらしい。

でも、はじめての海外。
しかも、友達との初2人旅。
はじめてのトランク使用の旅。
いろんなことがはじめてすぎて
そんな街だから
すごく思い入れがある。

だからどうしても
なにがあっても
行こう、と決めていた。

去年の12月。
引っ越し中にその最初のパリ旅行で私が書いた
旅日記が出てきた。

その旅日記が
自分で言うのもなんだけど
結構よくできている。

カラーイラスト入りで
毎日何をしたとか
こう思ったとか
何を買ったとか
全て記録されている。

それを見たとき
忘れていた記憶が
約10年の時を超えて甦った。

あの頃の気持ちと
今の気持ちって
なんだか面白いくらい違うけど
なんだかんだいいつつ
私はやっぱり
結構この街が好きだ。

シティはゴミゴミしているし
人が多いけど
ここは私にとって
特別な街。

無事 パリで

Tomoちゃんと再会。

あー。
ほっとしたー。

私が飛行機に乗れなかったこととか
夜行列車で来たこととか
いろんなことを知らなかったTomoちゃんは

「えー。大変やったなぁ。」

と、懐かしいトーンで
答えた。

うん。
Tomoちゃん。
大変だったんだよ。

トラブル続き 3

gopari
ミラノへ着いた。
朝6時40分。

なんでだか列車が遅れていて
乗り換えのパリ行きに乗れなかった。

なんだそれ?

こういうときは本当に続くんだな。

次のパリ行きは
2時間後。
今はミラノ駅の構内のカフェで
コーヒーを飲みながら
日記執筆中。

みんなが大きなトランクを持って
出発を待っている。

こういう場所と時間は嫌いじゃない。

私は一番端っこに席を取り
みんなを見ながら
これを書いている。

お隣の女性は
雑誌の気に入った部分を破り取りながら
時間を気にしている。
ビリビリビリ。。。という音が
時々私の耳に響く。

斜め前のおばさま4人は
早朝だというのに
井戸端会議に花が咲き
ヒートアップ。

その奥の男性は
物思いにふけりながら
手をぶらぶらさせている。

外はもう明るくなってきた。

今日は晴れるだろうか。

トラブル続き 2

初の夜行列車。
寝台車両を取らずに
普通の席にしてしまった私は
それは、それはもう
つらくてしかたない。

どこでも寝れる体質は
こういう場所でも有効だから
寝れないことはないけど
つらい。

なんとか
女の人ばっかり座っている
席を確保して
それでもパスポートを守りながら眠っていると
夜中に、チケットの拝見に来た
車掌さんに
「この車両はミラノまでいかないよ。
途中で切り離されて別の場所に行くから
チェンジしなさい。」
と言われる。

その話知ってる。
ときどき、そういうことがあるらしい。
けれど、この便がそうだとは。。。

せっかく席確保したのに。
しかも眠いし。

「何時に切り離されるの?」
「3時半」

3時間ある。
それまで寝れると思った。

なんて図太いんだ。
起きれなくて
車両チェンジできなくて
どっか知らんとこいったらどうすんねん、
って今は思うけど
そのときは
何より寝たかった。

私は3大欲求の中では
睡眠欲が勝つ。

そして寝て起きた時には
もうギリギリの時間。

2時半って言ったっけ?3時半だっけ?

2時半だったらアウトだ。
だから言わんこっちゃない。

とりあえず
別の車両に乗っている人に
ミラノに行くかどうか聞いたら
行くとのことで
車両チェンジ成功。

夜中の3時半前。

必死で座れる場所を探したけど
どこもみんな
自分勝手に寝ていて
入れる隙がない。

入れる隙があったら
黒人だったりするし
臭かったりするし
しばらく
通路で寝ようとしたけど
寒くて寒くて
それは地獄だった。
マチコ巻きになって
トランクを足で押さえ
バックを胸に抱えていた私は
どっからみても乞食風。

どうしてもその状況に耐えられず
途中下車した人の後を狙って
座席を確保。

あぁ、これでミラノまでの
2時間は寝れる。。。